日本人唯一のアカデミー助演女優賞のナンシー梅木が、なぜオスカー像を壊したのか?
1955年、ナンシー梅木という
ジャズ・シンガーが、
アメリカに渡った。
幾つかのステージで
歌を歌い、少し名前が売れて
彼女は映画に出ることになった。
第2次世界大戦が終わって、
アメリカは日本ブームに沸いていたという。
出演した映画は、
マーロン・ブランド主演の
「サヨナラ」という映画。
映画は見たことはないのだが、
劇中で、ナンシー梅木は
こんな風にして歌を歌っていた。
そして、この映画に出演したことで、
ナンシー梅木は、日本人初の
アカデミー賞助演女優賞を受賞した。
1958年のことである。
今朝ほど、ノンフィクションWの
「失われたオスカー像
~日本人初 アカデミー賞女優
ナンシー梅木の生き方~」
を見ていたら、
ナンシー梅木の養子だという
マイケル・フットが
最初で最後だといって母について語った。
そして、1972年42才で引退。
1973年、夫・ランドールが胃がんで死去。
最愛の人をなくして失意のどん底にあった
ナンシーは、オスカー像を自らの手で
壊してしまう。
その一部始終を、息子のマイケルは見ていた。
あの時は、理解できなかったけれど、
今ならわかるような気がすると言う。
「像を、壊すことによって、
母は、父との思い出を
永遠に自分のものにしたのだ…」と。
戦後、まだ有色人種の差別があった
アメリカで、
見事なまでに
「日本の花を咲かせたナンシー梅木
(梅木美代志)」
北海道小樽市生まれと聞いて、
親近感がぐっと増してしまった。
毎日新聞 2007年9月6日には、
こんな風に書かれていた。
【ロサンゼルス國枝すみれ】
日本人俳優として唯一、米アカデミー賞を
受賞したナンシー梅木さんが米ミズーリ州
リッキングの老人ホームで8月28日に死
去したことが分かった。死因はがんで、
78歳だった。
ワシントン・ポスト紙が5日報じた。
梅木さんはハリウッド映画「サヨナラ」(
1957年)で、朝鮮戦争時に日本に駐留
した米兵と恋に落ち、心中する日本人女性
を演じて、58年3月に第30回アカデミ
ー賞助演女優賞を獲得した。
相手の米兵を演じたレッド・バトンズさん
も助演男優賞を受賞している。
本名は梅木美代志。1929年、北海道小
樽市生まれ。ジャズ歌手となり、55年に
渡米。56年にCBSテレビの「アーサー
・ゴドフリー・ショー」で英語で歌をうた
い、注目されたことが、翌年のハリウッド
デビューにつながった。「サヨナラ」以外
の主な出演作品はコメディー映画「嬉し泣
き」(61年)や「戦略泥棒作戦」(62
年)など。58年にはブロードウェーミュ
ージカル「フラワー・ドラム・ソング」で
中国から来たピクチャーブライドを演じた。
テレビドラマ「エディのすてきなパパ」(
69~72年)にお手伝い役としてレギュ
ラー出演もこなした。
テレビディレクターのフレドリック・オピ
ーさんと結婚したが、離婚。68年にドキ
ュメンタリー監督のランドール・フッドさ
んと再婚し、76年に死別。ハワイ、カリ
フォルニア州に住んだ後、晩年は息子
夫婦がいるミズーリ州で暮らしていた。