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2012年11月18日 (日)

ついに、雪が降ってきたよ~!紙ふうせんの「冬が来る前に」が浮かんで、溶けた…。いや、積もった!

つい先ほど、
雨に混じって、雪が一片二片
舞っていました。

庭には、寒さに耐えていた
紅葉が2葉ほどあったのですが…。

1118a

と、少し目を外から
離していたら、来ました。

1118b

ついに、来ました、
白い季節の襲来!
白い季節の使者「雪ん子」が
舞ってきました。

しばらく、雪を見ていたら、

「冬が来る前に…
 もう一度あの人と 
 めぐり逢いたい」

なんっていう一節が浮かんで
きました。

紙ふうせんの歌ですよね。
まさに「冬が来る前に」

「細い坂の道を…」

なんか、情景が浮かんでくる
歌だよね。

人の心に残る歌というのは、
何処か情景が浮かぶ歌。
そして、はっとするような
言葉でありふれた状況を
表現すると、印象深いよね。

この歌には、
びっくりするような
表現はないんだけど、
素直に表現したところが
良いのかなあ。

1977年の曲なんだって。
紙ふうせんのメンバーだった
後藤悦治郎の作詞。
作曲はバックバンドのメンバー
だった浦野直。

レコード発売当時の二人。

Kamihuyu

そして、還暦?を迎えた
二人の歌声はこちらから。

Kareha

秋の風が吹いて 
 街はコスモス色

 あなたからの便り 
 風に聞くの
 
 落葉つもる道は
 夏の想い出道

 今日もわたし一人 
 バスを待つの

 冬が来る前に 
 もう一度あの人と
 めぐり逢いたい

http://www.youtube.com/watch?v=sKJKn7F5TYM&feature=related

2012年5月20日 (日)

岡林信康を「徹子の部屋」で遭遇!「流れ者」が西村賢太の「苦役列車」の主題歌だったら…

先日、昼食を食べるときに
TVにSWを入れたら、
「徹子の部屋」がやっていた。

で、出演者は?と見ると、岡林信康でした。
あらあら、このようなTVにお出になるの?
と見ていたら、
なんと、19年ぶりの出演とか。

1960年代に「フォークの神様」として、
時代の寵児となり、一世を風靡。

10年後に、演歌に進出。
ちょうど、その頃だったと思うが、
北海道の田舎をドサ周りしていて、
田舎の公民館で、「岡林信康リサイタル」
を聞いたことがある。

そのとき、「月の夜汽車」を歌っていて、
あの「フォークの神様」のイメチェンに
強烈な衝撃を受けたことを覚えている。

でも、もともと岡林信康は良い声を
しているから、何を歌っても
良いんだろうな。
でも、久し振りの岡林を繁々と見ると、
いい男ですわ。

おっと、話は「徹子の部屋」に戻ろう。
なんと、美空ひばりとの出会いや
岡林のライブに飛び入り参加して、
貴重なキスの音まで聞かせて?頂いた。

岡林が言うには、美空ひばりは300年に
1人の歌手だという。300年に1人かあ…。

彼女は、岡林の作った「風の流れに」をとても
気に入っていたという。
これは、私のための歌だというほどのお気に入り。

そして、おじいちゃんになった岡林は、
6歳の孫を歌った14年ぶりの
新曲「さよならひとつ」について語った。

番組を見た後に、「風の流れに」を試聴。
しっとりとしたいい歌だ。

で、そのヨコに岡林の懐かしい名曲が並んでいた。
その1曲が「流れ者」。
スタジオライブのものは、
昔のフォークぎんぎんというより
リズミカルで良かった。

Okabayashi2

https://www.youtube.com/watch?v=5ZwzLeIEQ3s

この曲、西村賢太の「苦役列車」に、
ぴったりの曲だなあ。
主題歌にすれば良かったのに…。

気がつけば、一人、
妄想のコラボの世界に入っていました。

「流れ者」

 飯場飯場と渡ってく
 おれは一生流れ者

 流れ流れてどこまでも
 明日を知れない流れ者

 工事終わったその日から
 おれも居ないさこの街に

 飯場飯場と渡ってく
 おれは一生流れ者

2012年1月21日 (土)

池上永一の「テンペスト」を読んで、琉球への愛国心を感じた!そして、佐渡山豊の「どうちゅいむにい」を思い出してしまった!

「読み始めるともう
 絶対に止められない」
北上次郎の言葉である。

Tempest1

Tempest2_5

そんな本に、手をつけてしまった!
上下巻合わせて、853頁。
2段組。厚くて重たい。
が、ほぼ1週間で読破。

池上永一の「テンペスト」。
昨年の暮れに、NHKBSで一挙放送に
魅せられ、本を手にすることに。

物語のあらすじは、色々なWebに
出ているので、詳細は省きたい。

500年王国”琉球”を
救うために一人の美少女が、
宦官と偽り行政官になって大活躍。
そして、側室になって真実の愛に
揺れ、そして我が子をついに…。

という話なのだが、
この本を読んで、感じたことは、
強烈な「琉球愛」である。

原作者池上永一も、
TVドラマ、舞台で演じた仲間由紀恵も
ともに沖縄県出身というのも心に残るが。

この沖縄、琉球への思いは、
今も県民の人は強く、
持っているのではないだろうか。

1400年代に琉球王国が誕生し、
1600年代には明と江戸幕府との交流、
清と薩摩の2国の狭間に揺れ、
明治、大正、昭和と時代を過ぎて、
1945年には、太平洋戦争で米軍55万の
攻撃を受け、終戦後の一時期は
アメリカに統治され、
1972年に日本に復帰された。
その後の40年経っても、在日米軍の
基地はそのまま存在している。

民主党政権になってからの沖縄の扱いは、
県民の感情を逆撫ですることばかり。

本来は、沖縄にとって一番の理解者となるべき
日本政府は、未だにアメリカから
自立も出来ず、基地問題を放置。

沖縄県民、琉球国の人々を愚弄して
いるとしか思えない。

昔々、沖縄フォーク村というLPが出て、
佐渡山豊の 「ドゥチュイムニィ」という唄に
度肝を抜かされた。

ドゥチュイムニイ - 佐渡山 豊

見事に、沖縄県民というか沖縄人の気持ちを
歌った歌だった。

歌詞の中に、

唐ぬ世から 大和ぬ世
  大和ぬ世から アメリカ世
 アメリカ世から また大和ぬ世
 ひるまさ変わゆる くぬ沖縄

(唐の支配下から 日本の支配下へ
 日本の支配下から アメリカの支配下へ
 アメリカの支配下から また日本の支配下へ
 どうしてこんなに変わっていくんだ 俺の沖縄)

そして、小さな領土ゆえ大国に振り回される沖縄。
でも、本当は独立した国として生きて行きたい
という思いが次の歌詞で表現されている。

人に飼われた鳩よりも
 雀の方が 俺は好き
 金魚バチの出目金よりも
 海に生きる タコが好き

いつか、沖縄が
平和な島、
珊瑚と綺麗な海のある島、
歌と踊りの島 になることを
願ってやまない。

2011年12月31日 (土)

懐かしい名画「いちご白書」をもう一度、観よう!そして、聴こう!青春が蘇るZO!

「日本中が熱かった時代の
伝説的青春映画をもう一度。」

こんなキャッチコピーを目にした。

もう、40年も前の映画「いちご白書」。
この映画が、上映されたという。
新宿武蔵野館他にて全国順次公開と
あるのだが、果たして
田舎の北海道までくるのかどうか?

ご存じのない方に、簡単に概略紹介。

1968年4月、遊園地を軍事関連施設に建て
る計画に端を発したコロンビア大学の学園闘争。

その渦中にいたジェームズ・クーネンの
体験記を基に作られた青春映画。

好奇心と下心から学生運動に身を投じた
ボート部の学生サイモン
(ブルース・デイヴィソン)と、
活動家の女子大生リンダ
(キム・ダービー)との恋愛を描く。

当局の一斉検挙が実行される
クライマックスでの迫力は、物語の幕切れ
として印象深いシーンだ。

Ichigo7

昔懐かしいワンシーンを観たい方は、
こちらをクイック!予告編もあるよ!

Ichigo6

http://eiga-ichigo.com/

そして、この映画を彼氏と観たことを
思い出して書いたという荒井由美
(現:松任谷由実)のこの曲も有名。

今で言う、日本の団塊の世代ではね!
あの2番の歌詞
「僕は無精ヒゲと 髪を伸ばして
 学生集会へも 時々出かけた

 就職が決まって 髪を切って来た時
 もう若くないさと 君に言い訳したね」

は、聴くたびに涙が出てくるくらい懐かしいなあ!

今回は、歴史的意味合いも込めて、
昔の闘争シーンをバックに
バンバンの「『いちご白書』をもう一度」を
聴いてみよう! あ!ご一緒に歌って下さい!

http://www.youtube.com/watch?v=K5gh5WWiTIY&feature=player_embedded

2011年9月10日 (土)

湯上がりにのんびりと、吉田たくろうの「旅の宿」でも唸ろうか。風流な画像にうっとり。

1972年のヒット曲。
40万枚以上を売る大ヒットとなった。

この「結婚しようよ」という曲は、
それまでのプロテストの色合いが
強かったフォークのイメージを一変させた。

フォークロックのアレンジ形態で、
それまでのギターをただかき鳴らして
自己主張を歌に託していたフォークとは
大きく異なっていた。

反体制のシンボルだったフォークが
“若者のポップ・ミュージック”として
一般的になるのはこの曲あたりからだろう。

以来、"ニュー・フォーク"という分野が誕生した。

まあ、歴史的背景はここまでにしておいて、
画像と一緒に、のんびり、しっとり、うっとり
聴きましょう。

シャボンの香りを感じながら。

詞は、岡本おさみです。

浴衣のきみは すすきのかんざし
 熱燗徳利の首つまんで
 もういっぱい いかがなんて
 みょうに色っぽいね

 ぼくはぼくで あぐらをかいて
 きみの頬と耳は まっかっか
 ああ 風流だなんて 
 ひとつ俳句でもひねって

 部屋の 灯をすっかり消して
 風呂あがりの髪 いい香り
 上弦の月だったけ
 ひさしぶりだね 月見るなんて

 ぼくはすっかり酔っちまって
 きみの膝枕にうっとり

 もう飲みすぎちまって 
 きみを抱く気にもなれないみたい

2011年4月 3日 (日)

福島原発事故から、ふと高田渡の歌う山之口獏の詩「マグロにイワシ」を思い出した!

福島の原発事故が長引いている。
今の調子では、
当分どう治めるかが問題で、
復旧どころではないような気がする。

原子爆弾によって多大な被害や不幸を
背負った国民は、また原子力という
エネルギーで、他国には類の見ない
被害を被ろうとしている。

1945年に、日本は原爆を落とされ、
その恐ろしさを目の当たりにしたが、
9年後の1954年に、アメリカは
ビキニ島で水爆実験を実施した。
そのとき、遠洋マグロ漁船の第五福竜丸は
「ビキニの灰」をかぶって被曝し、
乗組員の無線長は半年後に亡くなった。

そんな話を頭に入れながら、詩を
読んでいただければ…。

なんとも皮肉たっぷりな、
そしてどこか暖かみのある詩だと
思うのだが…

高田渡は、この沖縄生まれの詩人・山之口獏に
痛く感動、感化されたようだ。

高田渡 山之口漠を歌う!

「鮪に鰯」「生活の柄」などが集約されています。

『鮪に鰯』 山之口獏 

 鮪の刺身を喰いたくなったと
 人間みたいな事を女房が言った
 言われてみると つい僕も 人間めいて
 鮪の刺身を夢見かけるのだが
 死んでもよければ 勝手に喰えと
 僕は腹立ちまぎれに言ったのだ

 女房はぷいっと 横に向いてしまったのだが
 亭主も女房もお互いに 鮪なのであって
 地球の上は みんな鮪なのだ
 鮪は原爆を憎み 水爆には また脅かされて
 腹立ちまぎれに 腹立ちまぎれに 腹立ちまぎれに
 現代を生きているのだ

 ある日 僕は食膳を覗いて
 ビキニの灰を被っていると 女房に言うと
 女房は 箸を逆さに 逆さに持ちかえると
 焦げた鰯のその頭を その頭を小突いて
 焦げた鰯のその頭を小突いて
 火鉢の灰だと呟いたのだ

 鮪の刺身を喰いたくなったと
 人間みたいなことを
 旦那も言い始めた

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2010年9月20日 (月)

あなたといつか~ 積丹半島の岬めぐりをしてきました!念仏トンネルはおまけ!だよ

岬めぐりという歌がありました。
http://www.youtube.com/watch?v=DztaHKBIosI&feature=related

あなたがいつか話してくれた
 岬を僕は訪ねて来た

 二人で行くと約束したが
 今ではそれもかなわないこと

 岬めぐりのバスは走る
 窓に広がる青い海よ

 悲しみ深く胸に沈めたら
 この旅終えて街に帰ろう

九月の連休を利用して
凸凹親父10人衆の
積丹半島の岬巡り?をしてきました。

10時前から、某駐車場にて
ビールで乾杯!
怪しげな珍道中は始まりました。

岬巡りの前に、投げ釣り所望の
大先輩のかけ声で、9人が無理という
荒れた海に出かけて投げ釣りを敢行。

ものの見事に釣れませんでした。

その後は、「岬の湯しゃこたん」へ
ナトリウムー塩化物・炭酸水素塩泉
ということで、しょっぱい温泉でしたが、
露天風呂ではものの見事に、浮きました!

Rotensyako

その後は、
ここに紹介する「日本の渚百選」
にも選ばれている
島武意海岸(しまむい海岸)へ直行。
照明器具の全くないトンネルを
くぐると、そこは青い海だった!

Kamui1

Kamui3

それから、晩飯前の祝杯。
イカ刺し20杯で酒盛りです。
時間は、午後4時30分。
すでに、酒を口にして6時間以上経過です。

そして、7時に夕飯。
他の宿泊客もいて、
どうしてもでかい声で話をする
おっさん方の会話ははた迷惑ということで、
町に一件しかないスナックに繰り出し、
完全貸し切り状態で、カラオケオンステージ。
三橋三智也オンパレードの方も。
歌良し、声良し、踊り良しの三拍子。

11時に、宿に帰還。
酒を口にして13時間経過です。

反省会をしておりましたが、
長老の「寝よう!」の一声で、大部屋では解散式。
三々五々、各部屋に散って行きました。

さて、その号令をかけた長老は、
寝るかと思いきや、なんと2時まで
来年度の計画と今後の会の運営について
お話をしていたそうです。

私は、途中で夢路につきました。
夜中に、雷のようなイビキに遭遇しましたが、
ここで目を開けては負ける?と
必死に目をつぶり、
拷問のようなイビキそっちのけで寝ました。

翌日は、神威岬へ行きましたが、
二日酔いの皆さんは、
岬の先端まで行くことを拒否!
遠くから「念仏トンネル」に合掌しました。

Kamui0

で、帰ってきてネットを見ると、
なんとあの「念仏トンネル」を
通った方がいらっしゃる!
何とも偉い方です。
ご紹介します!
http://www.youtube.com/watch?v=D8wUXNf0DOE

2010年3月28日 (日)

送別会で歌った!松山千春の「銀色の雨」

パソコンがあまりに重たくて、
ついにリカバリーを強行!

スムーズな動きになりました。
ほっ!

先日、送別会があり、
短いお付き合いの2人が退職されました。

そのとき、歌ったのがこの「銀色の雨」
高音が少々、きつかったけど。

「ごめんと私に 
 言ってくれたのは

 あなたの最後の 
 やさしさですね」

いやあ、泣ける言葉ですね。

でも、今回の送別会は、
涙は全然なく、
カラッとしたお別れ会でした。

最近の送別会ってこんなものなのかな?

Kisyou

昔の千春の「銀色の雨」はこちらから。
昔の曲の方が、私は好きです。
http://www.youtube.com/watch?v=gK0uFP6cl5k

あなたと暮らした 僅かな時間
 通り過ぎれば 楽しかったわ
 
 これ以上 私がそばに居たなら
 あなたが だめになってしまうのね
 
 いつの間にか 降り出した雨
 窓の外は 銀の雨が降る

 あなたのそばで あなたの為に
 暮らせただけで 幸せだけど

 せめてあなたの 寂しさ少し
 わかってあげれば 良かったのに

 あなたがくれた 思い出だけが
 一つ二つ 銀の雨の中

 御免と私に 言ってくれたのは
 あなたの最後の やさしさですね

 いいのよ あなたに付いてきたのは
 みんな私の わがままだから

 あなたの夢が 叶うように
 祈る心に 銀の雨が降る
 」

おじさんになってからの千春の「銀色の雨」
やたら引っ張りまくりです。超スロー。
疲れてしまいますが、お好きな方はどうぞ!
http://www.woopie.jp/video/watch/6fabb5b8d90a93f8   

2010年3月22日 (月)

ああ!懐かしや!クラフトの「似顔絵」発見!

しばらくご無沙汰して、ご免なさい!!

部屋の片付けをしていたら、
ノートが出てきました。
もう、3〇年も前のノートです。

いろいろとなぐり書きをしてある
ノートだったのですが、
その中に、
クラフトの「似顔絵」の歌詞が
書いてありました。

ひょっとしたらと、
YouTubeに挑戦したら、
何と出てきました!

ビックリやら懐かしいやら!
で、早速ご披露いたします。

このほのぼのとしたテンポと
似顔絵を描くという情景が好きです。

今なら、即シャメなのかも知れませんが…

朝露に 羽を光らせ 
飛び立つ 小鳥のように

君は手を広げて 
無邪気に 朝を抱きしめる

そんな君の笑顔を 
僕は忘れたくないから

いつも 素直なままの
君の絵が描きたい

※ なれない手つきで 
  鉛筆動かしながら思った
  精一杯描いたら 絵になった

  だから君の考えている愛に
  ちょっと僕の愛足して
  さあ 始めてみよう 
  二人の生活

例えば君の暮らし 
結婚という名前で

僕の生活色に 
染まってしまうだろう

そんな時にふと 
思い出してもらえたら

いつも 今のままの 
君の絵が描きたい

※繰り返し

2009年10月24日 (土)

「あの素晴らしい愛をもう一度!」の加藤和彦までも逝ってしまった!

 ラジオから流れてきたニュース。
「17日、長野県・軽井沢町のホテルで
 加藤和彦さんが、首をつり死亡した」

「ん? かとう・か・ず・ひ・こ?」
「あの~? フォークル? サデ・ミカ?」

 なんと、?は正解でした。

なんでえ? 加藤和彦、お前もなのか?の心境でした。
最近、自殺者が年3万人台と言うことで
社会問題にもなっていますが。

加藤和彦(享年62)
ザ・フォーク・クルセダーズ
「返ってきたヨッパライ」でデビュー!
一躍、時代の寵児となる。

このブログでは、フォークルの

「帰ってきたヨッパライ」

「戦争は知らない」

http://umeland.air-nifty.com/blog/2008/09/post-8e55.html

を載せてあります。

彼らの数々のヒット曲のうち、今回は、

あの素晴らしい愛をもう一度

Katou

http://www.youtube.com/watch?v=OknfvoAM5bE

をのせておきます。

 「命かけてと誓った日から
  すてきな想い出残してきたのに

  あの時 同じ花を見て
  美しいと言った二人の
  心と心が 今はもう通わない

  あの素晴らしい愛をもう一度
  あの素晴らしい愛をもう一度

  赤とんぼの歌を歌った空は
  何にも変わっていないけれど
 
  あの時 ずっと夕焼けを
  追いかけていった二人の
  心と心が 今はもう通わない

  あの素晴らしい愛をもう一度
  あの素晴らしい愛をもう一度

  この歌を聴きながら、
 澄み切った青空を見ていると、
  ぼんやりと、
 つなぎトンボを見ていたことを
 思い出し、
  「心と心が 今はもう通わない」
  という歌詞が、妙に切なく思えてきます。

  心が何処かで繋がっているのだろうか?
 自分の心と、自分以外の人との心が…

  少しばかり孤独が襲ってきます。

加藤和彦の密葬は19日営まれ、
参列者によると、遺書には
「死にたいというより生きていたくない」
などと綴られていたという。

さらに、関係者によると、
加藤氏はうつ病を患っており、
フォークルの仲間だった北山修さんら
親しい知人複数に、
「もうやりたいことがすべてなくなった」
などと書いた手紙を送っていたという。

私は、うつ病ではないが、
時として
「生きていくのが面倒?」
になって来るときがある。

それだけ、
「生きる張り合い」、「生き甲斐がない」
ということなのだろうか?

人は、色々な形で、
生きる意味を求め、生きる意味を探して
いるのだろうが。

ふと、
「もう、疲れた…」と
思うときがある。

そんな時に…。

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